▲梅田の街の喧騒が、嘘のように心落ち着く境内

大阪キタのビル街に佇む
心安らぐ一願成就の名刹

周辺地名に残る 大寺院時代の境内名

大阪キタの繁華街に佇む太融寺は、まさに都心の異空間。周辺の喧騒とは打って変わって、丹精に手入れされた境内には清らかな空気が満ち、老若男女が訪れては祈りと憩いの静かなひとときを過ごしています。 創建は古く、八二一年( 弘仁十二)、弘法大師が嵯峨天皇の勅願によって建立。ご本尊の千手観世音菩薩は嵯峨天皇の念持仏だったとされています。
その後、同天皇の皇子、河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が七堂伽藍を建立し、多くの参詣者で賑わう名刹へと発展。寺名はこの融公に由来し、また、太融寺町のほか、堂山町、神山町などの周辺の地名が、当時の広大な境内の名称を今に伝えています。
大阪夏の陣で全焼しますが、元禄年間に本堂や南大門など諸堂が復興し、以後、「北野の太融寺」と呼び親しまれました。しかし、先の戦時の大阪空襲により、ご本尊などを残してすべてが焼け落ちます。現在の伽藍は戦後に再建されたものです。 なお、金属供出のために鐘楼から降ろされていて難を逃れた梵鐘を、終戦の年の大晦日に、当時のご住職が“復興のつち音”にしようとついて鳴らし、近隣住民を勇気づけたことから、「太融寺は鐘が残った。カネが残るゲンのいい寺」との評判が広まったそうです。
▲戦災を免れた、江戸中期、延宝3 年鋳造の「カネが残るご利益」の梵鐘

一願成就のご利益を求め 静寂の中で祈り、願う

境内の北東にそびえる朱塗りの宝塔の一層に不動堂(一願堂)があり、奥まで進むと一願不動と称する不動明王が安置されています。
一願不動は、一願成就のご利益があるとして、昔から多くの人々の崇敬を集めてきました。 ここは陽光の届かないほの暗い空間で、洞窟の岩屋からは一条の水が滝のように落ち、冷気と神秘的な雰囲気が漂います。静寂に包まれて一心不乱にお百度詣りをして、願掛けをすると、身の引き締まる思いがしてきます。
▲願いをひとつ!ここぞ…という時の強い味方となる一願不動
これは必見!!
ほかにも太融寺には、淀殿の墓をはじめ松尾芭蕉の句碑や横綱玉の海の碑などが点在し、端正な庭の眺めと共に、散策を楽しませてくれます。

●淀殿の墓

大阪城の落城によって秀頼と共に自刃した淀殿は、大阪城の外にあった弁天島に埋葬されましたが、明治10年、同地に城東練兵場(現大阪城公園)が造営された際に、豊臣にゆかりの深い太融寺に移転。今も、父親である浅井長政ゆかりの小谷城址保勝会による供養が毎年行なわれ、また、淀殿を演じることになって参拝する女優もいるそうです。

●「近代日本政党政治発祥の地」の碑

明治11年、板垣退助をはじめ全国の有志が大阪に集まって自由民権運動を起こし、全国的規模に発展。明治13年の愛国社(後の自由党)大会などの会合が、この太融寺を会場に行なわれ、白熱の議論が繰り広げられました。そこで、昭和60 年、太融寺を、日本の政党政治が発祥し、飛躍した場として記念すべく、石碑が建てられました。
▲近代日本政党政治発祥の地の碑

●真言宗の開祖・弘法大師空海の厄除け大師像

七幸巡りで幸をいただくのはもちろんのこと、仕事や買い物などの行き帰りに寄って、一願不動などに静かに手を合わせたいもの。

門も東西南北に設けられており、気軽に立ち寄れる身近さも嬉しい寺院です。
▲厄除け開運のご利益があるといわれる弘法大師
データ
太融寺 たいゆうじ
【無病息災】
朱印時間 8:30~16:30
太融寺のホームページ
大阪市北区太融寺町3-7
☎06-6311-5480
最寄り駅⇨東梅田駅(地下鉄)ホワイティうめだM14(泉の広場)の扇町線南側出口を上がり道路沿いを直進し右側[徒歩7分]
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