▲街中にあり、朝夕、通勤の途中で手を合わせる参拝者も多い
今も昔も愛され続ける
商いの街、大阪の守り神
漁業から商業の神へ進展
大阪の新春を彩る祭礼「十日戎」で知られる今宮戎神社は、聖徳太子が四天王寺を建立され時に、西方の守り神として創建されました。祭神は、天照皇大神、事ことしろぬしのみこと代主命、ほか三神。とりわけ事代主命は“戎神(通称えべっさん)”として信仰を集め、左手に鯛を抱え、右手に釣り竿を持った姿でお馴染みのように、もとは漁業の神様であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。
かつて海岸だったこの地は、平安中期より宮中に鮮魚を献進する朝役を担い、漁師たちは同社の戎神に大漁を祈りました。平安末期になると四天王寺西門に「浜の市」が立ち、その守り神としても拝まれるようになります。そして、市場は商業を発達させ、いつしか商売繁盛の神となり、商都大阪の人々に親しく崇敬されるようになったのです。
大阪ミナミのランドマーク的な戎橋(えびすばし)の名も、同社への参道として架けられ賑わったことに由来します。
●裏から銅鑼(どら)を叩くのは?
今宮戎神社での参拝方法は少し変わっています。社殿を参拝後、裏へまわってもう一度、銅鑼を叩きます。
再度叩くのは「念を押す」など、神様を友達感覚でとらえる大阪らしい理由から。裏からというのは、江戸期の商売の中心地、船場から見ると本殿は南向きでそっぽを向いているので、お祭りの時くらいこっちを向いてくれと願って始まったようです。
▲裏にまわると、お参りできる様になっているゾ!忘れずに立ち寄ろう!
新春恒例「十日戎」などで大阪の人・街と共に歩む
▲毎年3 日間で100 万人を超える参拝者で賑わう十日戎
十日戎(とおかえびす)は、1月9日(宵戎)・1月10日(本戎)・1月11日(残り戎)の三日間です。
「商売繁盛で笹もってこい!」の掛け声の中、福娘が笹に縁起物を付けて参拝者に手渡し、境内は立錐の余地もないほど賑わいます。
▲参詣者が自分で選んだ縁起物を付けてもらうのも大阪の十日戎の風習
●なんで、笹なの?
節目をつけながら青々と天に向かって真っすぐ伸びる笹は神聖視され、神が宿るとされました。お正月の門松に竹が飾られるのも年神様がそこに宿ると考えるからです。十日戎でも笹に神お札ふだや縁起物を付け、その一年の繁栄を祈願。特に同社では今も本物の笹を使用しており、切って風に当たると葉がすぐ巻くなど管理が難しい笹を、入念な方法で大切に取り扱っています。
●宝恵駕籠(ほえかご)の由来は?
お神輿とは異なり、もともと旦那衆が芸子を乗せてお参りさせ、華美を競う遊び心から始まりました。庶民は普段は見られない芸子が見られると大喜び。明治時代には芸子のプロマイドを片手に、宝恵駕籠に乗るお目当ての芸子を探したそうです。今は昔の様式を残しつつ、芸能人や野球選手なども乗って華やかさを盛り立てています。
●こどもえびす
十日戎のほか、昭和五〇年代に始まった夏の「こどもえびす」も話題を呼びます。
「雪のスロープ」や「雪のゲレンデ」などが設けられ、夏に雪遊びができる、と近隣の親子に大人気です
「雪のスロープ」や「雪のゲレンデ」などが設けられ、夏に雪遊びができる、と近隣の親子に大人気です
▲夏の話題行事「こどもえびす」から、雪のスロープに興じる子どもたち
期間中は「マンザイ新人コンクール」も開催。中世以来、くぐつまわし(人形遣い)が戎神の神徳を説いて回り、戎神は歌舞音曲の神ともされることから始められ、漫才師の登竜門として定着しました。
▲漫才新人コンクール
今も昔も大阪の人々に親しまれ続ける今宮戎神社。古い伝統を大事に継承するとともに新しいものも取り入れる不ふ えきりゅうこう易流行の精神で、長い歴史を刻んでいます。
データ
- 今宮戎神社 いまみやえびす じんじゃ
- 【商売繁盛】
- 朱印時間 9:00~17:00
- 今宮戎神社のホームページ
- 大阪市浪速区恵美須西1-6-10
- ☎06-6643-0150
- 最寄り駅⇨大国町駅/恵美須町駅(地下鉄)[徒歩5分] 今宮戎駅(南海)[すぐ]
- 恵美須町駅(阪堺)[徒歩5分] 新今宮駅(JR)[徒歩10分]
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